【前編】大学進学のかわりに手に入れたのは営業&経営センス。「最大限の提案ができる環境」を求め、会社を設立した代表インタビュー

みなさん、こんにちは!

今回は、当社から2021年7月にリリースした採用広報支援サービス『Fanca(ファンカ)』の生みの親である代表の田島にインタビューをしました。

当記事は、前編と後編の豪華2本立てとなっております。(当記事は前編です。)
前編では、田島の生い立ちから、株式会社ペイクスを設立したきっかけや社名・ロゴについてのエピソードをご紹介します。

後編では、採用広報支援サービスをつくった経緯や、当社の展望や求める人物像についてご紹介しますので、ぜひ合わせてご覧ください!

当記事の最後に後編のリンクがあります。


田島の生い立ち

人生のキーパーソンHくんとの出会い

東京都多摩市で生まれ育ち、2つ年下の弟がいます!
両親は美容師で、父の義理のお兄さん(私の叔父)の美容室で働いていました。

中学時代には、Hくん(前職の代表)と出会い、一緒にサッカー部に所属していました。Hくんは、試合の日にスパイクの右足用を2足持ってきてしまう天然さで愛されていて、部活でも遊びに行くときもいつも一緒にいる親友でした!

そんなHくんとは、高校時代にもよく一緒に遊んでいました。私が高校生のころはストリート系がブームで、私とHくんもスケボーやヒップホップ、DJなどにハマっていた学生時代でした!当時は、KICK THE CAN CREWというヒップホップグループに憧れていて、クラブイベントの前座としてステージにあがったこともありました。


座学より実践で学んできた


高校卒業後は、大学に進学せず就職の道を選びました。最初は、両親の勧めにより、地元の美容院のアシスタントに就職。しかし、当時のアシスタントの手取りは10万円程度で、閉店後の練習が深夜まで続くような過酷なスケジュールでした。美容師になりたいという意志が強くなかったためモチベーションが維持できず、植木屋や墨出し職人などのアルバイトを転々としました。

正社員になろうと決意し、業務用浄水器を販売する会社に就職。街の飲食店などに飛び込み営業をしていました。
とあるケーキ屋に飛び込み営業をしてお断りされた後に、ケーキをひとつ買って帰ったことがありました。そのケーキがとても美味しかったので、お客さんとしてケーキを買いに行くこともしばしば。そんなある日、再び営業目的で訪問すると、「うちのケーキをよく買ってくれるから」と言って、業務用浄水器の契約が成立!今思うと、そのケーキ屋のナーチャリングができていたんですよね。

22歳のころには、携帯販売会社の販売員として勤務しており、在籍していた支店で6ヶ月連続1位の売上成績をおさめました!私は大学に進学しなかった代わりに、ありとあらゆる仕事を経験し、ビジネスマンに必要な営業スキルを身につけることができました。

しかしその会社では、成績に対する正当な評価が得られず、都内を中心に展開していた携帯販売代理店に転職。転職先では、私の営業成績をみて「会社を立ち上げてみたら?」と勧められることがありました。それをきっかけに、24歳で会社を設立しました。


24歳から経営スキルをのばす


2004年、携帯販売代理店の会社を設立すると、これまでの営業スキルだけではなく、経営者として会社を安定・成長させるための経営スキルも必要になりました。

まず、売上を出すためにマーケティングについて勉強しました。
当時、日本ではTwitterやアメーバブログが流行り始めたころでした。流行に合わせて、その2つのSNSを使って集客をしてみることに。
Twitterのbot機能を使い、定期的に携帯電話の新着情報やお得情報を発信し、どこよりも安い価格で販売することに特化したマーケティング戦略を行ないました。
すると、この戦略が成功し、2期目に約2億円の売上を出すことに成功!

採用もすべて私が担当し、都内に7店舗を構える規模まで拡大することができました。気の合う同世代の社員が増えていくと、仕事後に朝までゲームをして遊んだり、寝ずに出勤することもよくありました。楽しかった思い出ですね!

2008年、28歳のころには、会社の繋がりで出会った人と、芸人を目指してマセキ芸能社のオーディションを受けたこともあります(笑)オーディションの応募者が多すぎたことで、急遽持ち時間が4分から2分に変更され、見事にスベッて受かりませんでした(笑)


旧友Hくんが経営する建設会社にジョイン


2011年、社会情勢が大きく変わり携帯販売代理店をバイアウト。その後、独学でWebマーケティングの勉強をしていました。そんなとき、中学時代の同級生のHくんから仕事の相談を受け、2012年にHくんが経営する建設会社にWebマーケティング責任者としてジョイン。街の小さな建設会社にゼロからWeb事業部を立ち上げ、マーケティング領域全般を担う事業部へと拡大させていきました。

また、会社経営の経験を活かして、人事・採用・経営企画の責任者も兼任で行なうことに。しかし、職人と呼ばれる専門職の採用は、すぐに辞めてしまう人があとを絶ちませんでした。退職理由から、「入社前後のギャップがあった」「想像していた会社ではなかった」という課題が見え、そこで初めてインナーブランディングの重要性に気づいたんです。

採用活動では、採用サイトをかっこよく作ったり、よく目立つような求人広告を作成して、見栄えだけを整えるアウターブランディングに注力する企業が多くありますよね。しかし、入社前後のギャップを埋めなければ、採用ミスマッチが発生し、早期離職を招いてしまうことに気づいたんです。

そこからインナーブランディングに注力し、働きやすい環境を整えました。例えば、新入社員と経営幹部がペアを組んで気軽に相談する場を設けるバディ制度など。それらと同時に、社長ブランディングや自社サイト内での採用広報を行なうことで、求人媒体を利用せずにも十分な応募を募れる企業へと成長させることができました。


顧客に対して最大限の提案をするために

設立のきっかけ

2021年、「ブランディング・マーケティングの力で企業の人材獲得や事業拡大の活動を円滑に進められるようにしたい」と思い、株式会社ペイクスを設立。

こう思ったきっかけは、さまざまな企業の経営者や幹部、人事の方と話をしている中で「人が足りないから事業がうまくまわらない」「採用にかかる費用が削減できず事業への投資ができない」といった”ヒト”に関する課題をよく耳にしていたことでした。採用領域における課題を解決するためには、企業に適した採用ブランディングが必要です。そこで、私のこれまでの経験が役に立てるかもしれないと考えていました。

しかし、前職のメイン事業は内装デザインなどの建築分野で、その傍らにWeb事業があるという位置付けだったため、お客様に対応できることの範囲や予算が限られていました。そのため、満足した提案ができないことも・・・。

そのもどかしさを感じ、顧客に対して最大限の提案ができる環境はどこにあるのか、と考えた末に辿り着いたのが起業することでした。

社名やロゴに込めた想いについては下記記事で語っていますので、ぜひご覧ください!

続きが気になりますが、今回はここまで!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

前編では、田島の生い立ちから株式会社ペイクスの設立までをご紹介しました!
前職で、インナーブランディングの重要性に気づいた田島。これをきっかけに、ブランディング・マーケティングだけではなく、採用支援を取り入れて、多くの企業の採用活動に貢献したいと考える田島は、どのような展望を持っているのでしょうか?

当社の採用広報支援サービスについてや今後の展望、当社が求める人物像は、後編でご紹介します!
ぜひご覧ください!

小関りか

小関りか

ペイクスの末っ子。だけどあだ名はりか姉。 アイス・海鮮・韓国料理を与えるとごきげんになる。

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